千葉の長南町の称念寺に「波の伊八」の彫物があると知り、調べてみました。

 称念寺本堂内の欄間に、お目当ての「龍三体の図欄間三間一面」という竜の彫刻がありました(長南町の指定有形文化財)。
天に昇る荒々しい竜の動きが力強い彫り物。しかし本堂内撮影禁止のため非常に残念。

「龍三体の図欄間三間一面」の撮影が無理ならその写真を電子ファイルで販売するなど是非検討して欲しいですね!

 中央正面の昇り龍は尾が天井まで巻き上がる四肢と火炎とのひらめきが無限の広がりを連想させる(この竜の写真は以下に掲載)。
 これに対する左右の降り龍が荒波に勇躍している。この八方にらみの龍の鱗は、右を紅、中央を青、左を青で染めている。
【長南教育委員会の看板から】
初代伊八は本名を武志伊八朗信由(1751〜1824)といい、現在の鴨川市打墨の生まれ。多くの欄間彫刻などの名作を遺し、
その素晴らしさから”波を彫らせては日本一”といわれ、「行元寺」に残る『波に宝珠』に見られる波涛は見るものの目を惹きつけてやみません。
また、波の伊八の作品は北斎の名画にも大きな影響を与えたといわれています。

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千田村の称念寺から仕事の話が持ち込まれたのは、1814年(文化11年)2月半ばのことであった。
称念寺は、一遍上人のお弟子さんが開かれた寺だそうです。今は、下総の国、生実にある大巌寺の末寺になっております。
本堂を建ててから、もうすぐ90年になるそうです。欄間のことは、代々のご住職が心にかけておりましたが、
これまで実現できなかったとのことです。このたび開誉上人(かいよしょうにん)が先師の遺命をどうしても果たしたいと申されて・・・
6月にはいると、材料の準備を終えた伊八は、道具をすべて称念寺に持ち込んだ。
彫りはじめて3年、思いがけない男が伊八を訪ねて来た。北斎だった。
9年余りの歳月をかけて三態の龍を彫り上げた。
正面の昇り龍は、辟易するほどの凄まじさであたりを睨み、これが寺を飾る欄間だとはとても思えない作品である。
正面を睨みすえた昇り龍は、鋭い爪で宙をつかみ、波をつかみ、稲妻のようにひらめく火炎のなかで、
生なましくうねる尾を天井まで巻き上げて、欄間から激しい勢いで踊り出ている。
今にも襲いかかりそうな青龍を真ん中に、右には勇躍する赤龍が大きな長押に爪を立て、左の白龍は、長押から身を乗り出して鋭い眼光を発している。
本堂建立から100年後に取り付けたこの三態の龍から、渾身の力を込めたであろう伊八の執念が、
今もなお、おそろしい勢いでほとばしっている。
大きな銘を彫り終えた翌年、伊八は73歳の生涯を閉じた。
  以上、小説「波の伊八」から引用
  上記の真贋は、私には、確認しようがありませんがこの彫り物だけは、現存し素晴らしい事は事実です。

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波の伊八
初代伊八の作品   武志伊八朗信由 作 『龍三体の図欄間3間』