日蓮宗(単立・仏教系)という宗派の龍鑑寺です
「では、鬼子母神って一体なんなの?」
鬼子母神の縁起・・・
鬼子母神様はお釈迦様のお説きになられた「法華経」というお経のなかに説かれる神様です。お名前をサンスクリット語(古代インドの言語)でハーリティー”(Hariti)といい、これを訳して“鬼子母神”または音訳して、“訶梨帝”(かりてい)などと呼ばれます。
鬼子母神様には、ひとつの伝説があります。
鬼子母神は般闍迦(Pancika パーンチカ)と云う神様の妻であるとても美しい女神で、500人ものたくさんの子どもがいました。鬼子母神はこの愛する子供たちを育てるため人間の子供をさらってなんとこれを食べていたのです、人間達は子供たちをさらわれることを恐れ苦しみ、お釈迦様に相談しました。
お釈迦様は一計を案じ、鬼子母神がもっとも可愛がっていた一番下の子供の姿を神通力によって隠してしまいました。鬼子母神は嘆きそして悲しみ、必死になって世界中を気も狂わんばかりに探し回りましたが、勿論見つかるはずもなく、途方に暮れついにお釈迦様の元に行き、自分の子供が居なくなり見つからないことを話し、助けを求めました。
お釈迦様は鬼子母神に「500人の子供の内、たった1人居なくなっただけで、おまえはこのように嘆き悲しみ私に助けを求めている。たった数人しかいない子供をおまえにさらわれた人間の親の悲しみはどれほどであっただろう。その気持ちがおまえにも今わかるのではないか?」とはなし、「命の大切さと、子供が可愛いことには人間と鬼神の間にも変わりはない」とおしえられ、子供を鬼子母神の元に返しました。
鬼子母神はお釈迦様の教えを受け、改心し以後は全ての子供たちとお釈迦様の教え、母親の苦しみを悟らせ仏法に帰依させました。またお釈迦様の教えを信じる全ての人たちを守ることを誓いました。これ以降、鬼子母神は安産、子育て、子宝成就などのご利益があるとされ鬼ではなく仏教・法華経と子供の守り神となりました。
当山では子安鬼子母神並びに鬼形(キギョウ)鬼子母神の二像を奉安しております。 鬼子母神堂建立以来お祀りしているのが子安鬼子母神で古くはお宮参りや七五三参りで信仰を集めておりました。 鬼形鬼子母神は現住職が昭和五十四年度日蓮宗大荒行堂入行の際に新像入魂しました。 日蓮宗では鬼形鬼子母神を祈祷本尊と崇め、木剣加持祈祷を修する事で様々なお祓いを執り行います。 近年では龍鑑寺新春祈祷会の本堂御宝前中央に鬼子母神堂より一時遷座し厳修しております。
龍鑑寺鬼子母神堂の歴史
現在の鬼子母神堂の竣工年月は定かではありませんが、第三十一世日豊上人代、七渡山龍鑑寺境内全図(明治二十九年作)に鬼子母神堂が描写されている事から、
それ以前に建立されたものと思われます。また昭和二十五年、第三十五世日行上人代に寄進を募り修復を施工しており現在に至ります。