日蓮大聖人尊像にかける綿帽子時期 |
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祖師像の綿帽子の由来 -日蓮宗の知識- |
文永元年甲子(1264)八月、久々に故郷房州(千葉の安房)に戻り、母(妙蓮尼)の病気を見舞った日蓮聖人(四十三歳)は、十一月十一日(新暦で十二月八日)には工藤吉隆(天津の領主)のもとに招かれました。その途中(すっかり闇に包まれた)、
小松原で地頭の東條左右衛門尉景信らの手勢に襲われました。(午後五時頃)熱心な念仏信者であった東條景信は、師の道善坊にそむいてまで熱心に法華経を説く日蓮聖人に対して深い敵意を抱いていたのです。
日蓮聖人一行は必死に防戦しましたが、お弟子の鏡忍坊、工藤吉隆らは討ち死にし、
聖人ご自身も景信に、前頭部やや左と右側頭部を切り付けられ、眉間に三寸(十二センチ)ほどの疵を負い左腕を折られたといいます。そして奇跡的に鬼子母神のお加護で救われた日蓮聖人は、間道づたいに夜道を逃れ、
小湊山の近くにたどり付かれました。やがて、谷間の水で疵を洗い、経を誦みながら、身を隠した岩窟の砂を疵口にぬって血をとめたということです。その翌朝、額に深い疵をおって岩窟に隠れている聖人の姿を見かけた「お市尼」という老婆が、自らかぶっていた綿を聖人に差し上げたということです。
これが綿帽子の由来ですが、寒くなると痛んだであろう聖人を偲んで、
綿帽子をおつけする 時期は、小松原法難会(十一月十一日)から、立教開宗会(四月二十八日)が適当 だと思われる。又、下から赤・紫・白の三色の綿 帽子は聖人眉間の傷から出た血の色を表しています。
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三色の意味は
白色は雪を表し
紫は衣の色
赤は血の色を表します。 |
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