施餓鬼について

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施 餓 鬼 に つ い て  (2009-07-24記)
  施餓鬼とは?
この時期に良く聞く言葉ですが、一体どんな意味があるのでしょうか?
私たちは亡くなると生前の行った功徳の結果において次の世の六道世界に振り分けられるといいます。
六道とは
①地獄
②餓鬼
③畜生
④修羅
⑤人間
⑥天
       のことです。

この餓鬼道に落ちた衆生のために食べ物を施しその霊を供養することを指します。

お施餓鬼が始まったのには2つの説があります

①  お釈迦様の十大弟子の1人である阿難(アナン)尊者が坐禅していると時に口から火を吹く餓鬼が突然現れ、
「三日後に汝の命はなくなり、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう」と言いました。驚いた阿難尊者はお釈迦様に相談すると
「一器の食べ物を供え観音菩薩の秘呪を七回唱え、一心に祈ればその食べ物は無量の食物となり一切の餓鬼は十分に空腹を満たされ、
天上に生まれ変わり、施主は寿命が延びその功徳により仏道を証得することが出来る」と言われ阿難尊者は早速その通り供養を行いました


②  同じく十大弟子の1人目連尊者が餓鬼道に落ちて逆さ吊りにされて苦しんでいる母親をどうしたら救えるか、
お釈迦様に相談したところ「夏の修行が終る7月15日に僧侶を招き、供物を捧げて供養するとよい」と教えられました。
その功徳によって母親は極楽往生をとげたと言われています

お盆は盂蘭盆(ウラボン)ウラバーナと言い逆さ吊りにされた苦しい状態の事を言い、お盆の語源になっています

施餓鬼供養は今日ではお盆の時期に行われることが多くなっていますが本来は特定の時期だけ限定して行われるではなかったようです。
お盆に年に一度還ってくる祖霊に毎日供物を供え、それと同時にまた俗世をさまよう餓鬼にも施餓鬼棚や餓鬼棚を設ける風習があります。





盆の施餓鬼にかかわらず、盆じゃなくとも施餓鬼はする。文字通り 餓鬼に施しをする行事である。
最初は目連尊者から始まったことは、前に述べたことであるが、盆の時だけじゃなく、施餓鬼だけは 
先祖供養の最大供養として時折する。それは、またまたお釈迦様のお弟子様にアナン尊者というえらい坊様がいた。。。。。。。
彼もまた、お釈迦様と同じく神通力の第一人者だ。。。。。ある日彼は、近頃身体の異変があることを知っていた。
そして菩提樹の下で座禅をしていると、急に炎に包まれた鬼が彼の側に来て、彼に言った『アナンよ、おまえには餓鬼が取り憑いている。』
『あと一年でおまえの命は尽きることとなる。』
え゛っこれは大変と「どうしてそのような者が取り憑いたのか」と鬼に尋ねると、『おまえはとても優しい誰にでも優しい、
そして素晴らしく頭も良い、そして美男子である。。。。。それ故、女はおまえにぞっこんで片思いなる者が多い。。。。
しかし、おまえは優しいが個人的に女として愛してやることはしない。そう修行が一番だからだ。その思いが最大になり自殺する女が
多いことをおまえは知ってるか???』『その女の怨念とその女を愛していた男達はおまえの存在で結婚することも出来ずに
おまえを恨んでこれまた自殺する者が多い。。。。』『この女達の霊と男達の霊が成仏できずに餓鬼となったのだ。その霊は、
おまえをこの世から消し去ることのみ思った霊で、それがおまえに取り憑いているのだ』アナンは恐ろしくなり鬼に聞いた。
「どうしたら私は助かることができるのか」すると鬼は『おまえは助かることは出来ない早く死んでしまえ』
これは大変なことになった。近頃、胸が苦しかったり恐い夢ばかり見るのはこれが原因なのかと。。。。。。。
手を拱いていても仕方ないので、アナンは師のお釈迦様の元に走った。。。。。。。。
「お釈迦様、私はどうも餓鬼に取り憑かれているようだ。どうしたらよいでしょうか?」
お釈迦様は申されました。。。。。。『盆の施餓鬼のようにしたらいいものの、なかなかねらい通りに取り憑いた餓鬼を成仏させるのは難しい。
何年も何十年もかかってしまう。』「それでは一年しかない命に間に合いません。どうにかならないものでしょうか?????」
『確率は無いに等しいが、修行僧ではなく修行の終わった高僧が各地に散らばっている。。。。。そのもの達を集めて供養をしてもらいなさい』
『そうすれば もしかしたらおまえに取り憑いた餓鬼は成仏出来るかもしれない』と。。。。。。。。。
アナンは早速 半年間くらい、あっちこっちに教化の為に散らばっている高僧達にお願いして廻り、二十人位の高僧を集めてきた・・・・・・・・・。
段々アナンは痩せ細り、気力を失うくらい疲れ果てている。もうあと半年しかない。。。。。。
大丈夫だろうかと・・・・毎日毎日施餓鬼会続いた。そして明日約束の最後の日となったとき・・・・・・
「もう駄目だ」私はこれで命は尽きてしまうと諦めた。
その時だ、一人の女の餓鬼の霊が出てきて 『アナン様あなたはどうして私の想いを受けていただけなかったのか』と言うのである。。。。。。。。
「私はまだ修行の身で、人を愛してはならないのである」
「しかし、わかった。。。。。人を愛すると言うことは抱きしめるだけではない・・・・心から相手を想うと言うことだ。
私はここ一年それだけを考えていた。。。。ホントに済まなかった、私の身は取り憑いた餓鬼に捧げよう。。。
しかし、他の人にまで取り憑くことはしないで欲しい」と、懇願した。。。。。。。。。。。。。。。


するとどうでしょう。。。。。アナンに取り憑いた数匹の餓鬼は 次から次へと成仏してアナンの身体から出て行ってしまった・・・・・・・・・
アナンはその時命の大事さと人を愛することの意味を知ったのだ。

修行修行と何ものも寄せ付けずやった修行とは、この世に沢山の人たちがいる中、自分さえよければそれでいいと思うことと同じなのである。
故にアナンは餓鬼が取り憑き餓鬼そのものになろうとしたのである。

もう一つ

相手のことを考えて行動していないと、あなたも餓鬼が取り憑きますよ。。。。。。ご用心