地 域 の リ ン ク 本文へジャンプ
五 番 組 イメージ
最終更新日:2019-5-18
ここは、千葉県茂原市七渡の北部自治会の五番組
(七番組まである)です。

未だ未だ紹介まで出来ておりませんが追々行っていきます。


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水神社の鳥居建設

平成二十七年二月

水神社の鳥居    平成七年七月に建設した鳥居を綺麗にしました。

   鳥居表面の汚れなどを取り除いて綺麗になりました。


平成七年七月

   
   

☆ まだ、コスモス団地が影も形も無い状態です。

左下写真奥に杉林が見える場所が「現在のコスモス団地」です。

この写真入用な方は連絡下さい。もっときめ細かい画像の電子ファイルを差し上げます。



◎オビシャについて

関東一帯では、一般に実際の歩射の行事を略して、酒宴だけ行うのを備謝と称する所が多く千葉県では、正月の祝義あるいは、お日待などに部落の者が集会して酒肴を共食することをオビシャと称している。(備謝祭)(びしゃまつり)

◎臨時の催しや吉凶の人寄せごとなど各方面に生活の知恵を、具体化し、
それが年中行事や郷土独特の風習となったものがある。
それらのあらましについて紹介する。


おびしゃは、歩社、武射、奉射、奉謝、奉社、備射、備謝、備社、鬼射、毘舎、毘沙などの
漢字が当てられているが、もともとは、「御歩射(おぶしゃ)」が訛ったものらしい

単に豊作や安全を祈ったり、村の人たちの酒を酌み交わす場になっている


◎宮参りについて

百一日目に初めて産土神うぶすながみに参拝、無事に成長することを祈る。関係者へは、赤飯を配りともに祝ってもらう。

◎初の節句について

男女とも生後最初に迎える節句には、親元その他の関係者から男児の場合は鯉のぼり、のぼり、武者人形、女児は雛人形など、祝いとして贈られた品物を飾りたて盛大に祝の宴を設ける習わしである。とくに男児の場合は凧揚げ行事が華々しく行われた。

紐解祝ひもときいわいについて

男女児が七才になった時に行う祝いで帯解祝おびときいわいともいう。この年令まで無事に成長したことの祝いと、さらに立派に成育することを祈るもので、新調の衣服をつけ宮参りをする。このときから幼児用の「紐付き着物」をやめて「紐なし着物」を着るのが習わしという。この祝いは成人後の婚礼と同じように盛大に行い、むしろ豪華さをきそうような傾向さえままみられた。江戸時代とくに末期には、婚礼時の華美とともにしばしば生活改善のやり玉にあげられた。なお、この日十一月十五日に、紐解祝の家からその子の親元へ「かごもち」をおくる風習も古くは一般に行われたが次第にへって来、最近ではほとんどみられなくなった。

備社びしゃについて

各戸とも少糧の米を出し、輪番の当番が濁酒を造り、毎月、一日、十五日に鎮守の社に集まり神に供える。後、一同これを飲んで出来のよしあしを論じ楽しんだという。いつのころからか正月だけとなり、部落の新年宴会に変形したが、鎮守の社で行われることは今も変わりがないようである。

◎三夜講について

旧暦二十三日の夜の月を祭る集まりで、隔月に行う場合が多い。部落の荘年者が集まり関係の画幅をかかげ供え物をなし、夜更けに至るまで飲食し雑談にふける型が多い。

◎子安講について

子安講は、結婚した女性が子安地蔵や子安観音の前にムシロを敷いて祭事を行っていましたが、後には頭屋に集まり、子安様に揃ってお詣りをし、その後、飲食を共にするように変わりました。
新しく村に嫁入りした女性は、丈夫で、よい子供に恵まれて安産であるようにと子安講に入ります。その時は、仲間入りとしてお酒を1升と酒の肴の「スルメ」、「煎餅」などを持参し、母親に連れられて集まりに出向き、参加している人々に紹介されました。