茂原市 広報もばら(2020年(令和2年)9月1日号文化財:375)に龍鑑寺の向拝の紹介が掲載されました。
以下、掲載文を紹介いたします。
本堂向拝虹梁(こうりょう)上に目を遣ると、胴をくねらせ、どっかりと身構えた龍がいる。その龍は不審者や不信心な者に睨みを効かせ聖域を守っている。
法華経の中で龍(八大龍王)は、法華経を守護する護法の善神(ぜんじん)とされている。
龍は空中を飛翔し、雲を呼び雨を降らせ、東を守護する青龍でもある。龍は神秘的な力を持つとされる瑞獣(ずいじゅう)で想像上の動物である。
龍が握りしめているのは、あらゆる願望を成就させ、苦悩を除き、悪を祓(はら)うともいわれる如意宝珠(にょいほうじゅ)(玉(ぎょく))である。
古来中国では玉が貴(たっと)ばれ、天子(てんし)の象徴とされていた。
ここは七渡山と言う日蓮宗の龍鑑寺(市内七渡)である。向拝の「雲に波に龍」の彫物は無銘であるが構図や作風から高松又八郎邦教と推定される。特徴ある波の渦巻き模様、龍の定型的なポーズ、火焔(かえん)の棚引き方や波の崩れ方等又八の特徴をよく表している。
高松又八郎邦教は通称又八(亦八)と言い、門人十一人を育てた江戸の名工である。本名は蜷川左平太親尚(にながわさへいたちかなお)と言い、公儀彫物棟梁として、厳有院廟(げんゆういんびょう)(徳川将軍四代家綱)や常憲院廟(五代綱吉)、そして江戸城改修工事などの仕事をしている。
又八は、寛文年中に江戸に出て名彫刻師島村俊元の弟子となり腕を磨いた。俊元の師匠は村井正俊で、正俊は俊元の伯父とも言われ、左甚五郎の末孫とも伝わる名人であった。又八も左甚五郎の再来とまで言われた名人であった。同門には島村圓鉄がいる。
高松家は二代頼直(有章院廟〈七代家継〉の仕事)、三代頼品(惇信院廟〈九代家重の仕事〉、日光東照宮修復仕事)、四代厚孟と続き、代々幕府お抱えの御用彫物師で、彫物の最高地位を占めた名家である。
又八は上州沼田(現群馬県沼田市)生まれ。墓は同県みどり市の祥禅寺にある。墓石の戒名は「傳心院外空邦教居士」と刻まれ、その側面に刻してある文字から「江戸神田九軒町(現千代田区岩本町)一居住御彫物屋棟梁俗名高松亦八」と読み取れ、没年は享保元年(一七一六)二月五日と刻されている。
又八の作品は東京大空襲の戦禍により焼失。そのため、幻の名工と言われていた。しかし、近隣の社寺で数多く見られ、中でも某寺(大網白里市)の「牡丹」と「迦陵頻伽(かりょうびんが)」の欄間は傑作である。
茂原市文化財審議会委員 片岡 栄 氏が執筆されておられます