「近世の郷土の地震被害ですが、大打撃を受けた記録は一つも残っていません。慶長六年・元禄十六年・安政二年の地震が、房総に関係する三大地震ですが、石灯籠が倒れたとか、土蔵の壁にひびが入ったといった程度の記録しか残っていません。」(24ページ) 「大正十二年の関東大震災は、時代的に近いので、被害記録や語り伝えが残っています。」・・・・現在、経験者が健在。父母や祖父母から話を聞いている人も多いのでは。 元禄大地震について 「この夜大地震にて、郭内石垣所々くづれ、櫓多門あまたたをれ、諸大名はじめ士庶の家、数をつくし転倒す。また、相模・安房・上総のあたりは、海水沸きあがり、人家頽崩し、火もえ出で、人畜命を亡ふ者数ふるにいとまあらず」 (『徳川実紀』元禄十六年十一月二十二日夜丑刻の記録)(1703年12月31日午前2時) 元禄大地震の被害範囲は、相模(神奈川)、武蔵(東京)、安房・上総(千葉) ・建物崩壊は小田原が一番ひどい ・江戸は大火災が加わる ・安房は津波と土地の隆起、陥没 ・上総は津波被害上総は津波被害 鷲山寺の津波供養塔について 溺死者 2154人 供養塔の合祀範囲は、四天木村から現白子町、長生村だから房総沿岸全体では大変な被害 例えば、小湊の鯛の浦は陸地であったのが水没し海中に。 死者100人に 宝暦3年の51年忌に供養塔を建立