元禄大海嘯
地震學者の説によると、大地震は百年を經過せざれば再び同一場所には起こらないと。慶長六年關東に大地震起り爾來房總沿岸には數回の小津波があったが、大ツナミは無かった。所が慶長六年を去ること百三年目元禄十六年十一月二十二日江戸に大地震起り死者十餘萬人に達したという。同時に房總關東海濱は再び大ツナミに襲われた。其の被害地は南房州白濱から朝夷、長狭、夷隅、長柄、山邊、武射、等舊六郡の沿岸村落に亙り詳細の事は明瞭ではないが各郡誌、町村誌等を見ると千人塚、精霊塚、供養塔、津波塚等の遺跡がある。此処に列記して見よう。
●鷲山寺門前の供養塔
茂原町鷲巣區本門法華宗の大本山鷲山寺の入口にあり正面に 南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう) と題し、右側に 元禄十六癸未十一月二十二日夜丑刻大地震東海激浪死者都合二千百五十餘人死亡。去癸酉五十一年忌營之 とあり裏面に 維時寶歷三癸酉十一月二十三日 と記してある、寶歷三年は元禄十六年をさる事五十一年後に當り、供養として餘りにも悠長である。供養塔と相對して一基の燈籠がある里人の談話によれば大正十二年九月一日の大地震に際し二基共に横に揺り倒れ、碑の下に經文を書いた貝殻が多量に現れたと云う。
●一松供養塔
一松村本興寺境内にあり死者三百八十四人を合葬し牌記に
維元禄十有六年癸未十一月二十二日之夜於當國一松大地震、尋場大波。・・・
●幸治の無縁塚
白潟町大字幸治區にあり、死者三百六十餘人を合葬した遺跡である。
●津波精霊塚
南白龜村字牛込にあり死者百三人を合葬した遺跡である。
享保十一年丙午十一月貝殻に經文を書き追福の爲め之を埋め塔を立てたと云う。
以上は長生郡内にあり此の外山武、夷隅、安房諸郡を訪ねて見よう。
●津波塚
山武郡白里町大字四天木區の鳳凰山要法寺の境内にあり
●千人塚
同郡緑海村大字松ケ谷區地蔵堂の境内にあり
●千人塚
夷隅郡御宿町袴山の麓にあり
●福島の暗礁
勝浦灣の左方八幡岬の西南一町許りの所にある。
●小湊誕生寺
日蓮の誕生地は今海となっている。
●野島岬
房州の南端白濱村にあり昔は孤島であったが元禄十六年十一月の地震及び海嘯により海が埋まり孤島と陸地との間三町許りが連接し一岬角となったという。
●瀧口の亡田
白濱村の西隣長尾村瀧口區に鎮座せる松原神社の近くにあり昔神社の後山より瀧水落下していたので村名がつけられた。