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解説記事

長生郡教育会編の著書 西暦1913年

『長生郡郷土誌』より転載

  1.       第 五 章  東 北 町 村 部
    本部には、郡の東北部、即ち東郷、高根本郷、関、白潟、南白亀、豊岡、本納の七町村を列記す
    これ等の町村は、、俗に之を中洲岡(ナカスカ)といひ、其の山武郡に連なる一帯を北場と呼ぶ、而し
    て郡の西南部地方とは、やや其の風俗及民情を異にせり。

  2.             第 一 節  東  郷  村
    【総  説】
    東郷村は、茂原町の東北に接する農村にして、東は関村及高根本郷村に、南は八積及
    茂原町に、西は茂原町及豊田村に、北は本納町に境せり。全村悉く平坦にして、一丘
    一陵なく、又湖沼川流なし。ただ到る所、田畑、山林、原野の交錯せるのみ。而して徳
    川時代に新開せる地多し。
    本村は明治二十二年(1890年)町保、木崎、谷本(屋本)六ツ野、千町、小轡、本小轡、新小轡、七渡の舊九 ケ村聯合して成り、面積千四百六十八町餘、戸数五百七十餘戸、人口四千餘人を有す。

    【沿  革】
    木崎は、中古一之荘に属し木崎郷と称せしことあり、町保は茂原と木崎の間に介在し、
    徳川氏の初め開墾せし新村なり、初め町保新田と称し、明治の世に至り、町保村と称せり。
    六ツ野は木崎の東にあり、町保と同時代に開墾し、初め上福新田、総寿新田、國昌新田、
    千盛新田、新久新田、田永新田、木崎新田の七新田に分立せしが、明治八年(1876年)一月合併して、 六ツ野村と称せり。千町は、初め一之荘南白亀郷関村の一部落なりしが、元禄中分れて一村となれり。 小轡は寛永中本小轡村の東方、原野を開墾してなりしを以て、初め小轡新田と称し明治十六年(1884年) 小轡村と称せり。新小轡は本小轡の西方に連り、初め西谷村と称せり。七渡は、本納町或は豊田村と 同じく、中古二宮荘に属し、七渡五郷と称せしことあり。維新前の石高、戸数、領主、地頭左の如し。

  3. 地 域 石 高 戸 数 領 主、地 頭
    木  崎  村 二百四十七石  五十七戸  伊澤内記 
    谷  本  村 二百〇四石  三十五戸  米津播磨守 
    小  轡  村 二百〇一石  三十七戸  渡邊帶刀 
    本 小 轡 村 二百二十石  三十八戸  同前   
    新 小 轡 村 百九十八石  三十六戸   
    小 轡 新 田 七 十 石  二十五戸  駒井半蔵 
    町  保  村 九 十 石  二百戸 

    (上林村を加ふ)
     
    千  町  村 百三十四石  田沼能登守 
    上 福 新 田 五十三石   
    総 寿 新 田 二百〇二石   
    国 昌 新 田 百七十五石   
    千 盛 新 田 百六十三石   
    新 久 新 田 八 十 四石   
    田 永 新 田 九 十 四石   
    木 崎 新 田 三 十 石   
    千 町 新 田 三百九十三石  飯田惣左衛門 
    七  渡  村 四百二十三石  九十九戸  大井信濃守、柴田専治郎 




















  4. 谷本、本小轡、新小轡、小轡新田、千町新田は、其の後鶴牧藩主水野候の領地たり。

    【神  社】
    千町に面足神社村社(面足尊)及稲荷神社あり、六ツ野に八幡神社村社(誉田別命)外一社稲荷神社村社
    保食姫命うけもちひめのみこと
    あり、木崎に木崎神社村社(高皇産霊命)及熊野神社、厳島神社あり、谷本に根之神社、大杉
    神社あり、町保に八幡神社村江(誉田別命)及稲荷神社、道祖神社あり、本小轡に御崎神社村社(事主
    代命)
    及水神社、八幡神社あり、七渡に水主神社村社(水波賣命ミズハノメノミコト及羽黒神社、八幡神社、水神社、菅原
    神社あり、小轡に八幡神社あり。

    【寺  院】
    木崎に來應山東泉寺真言あり。谷本に谷本山海蔵寺天台あり。六ツ野に聖應山妙感寺日蓮あり。
    千町に大草山光林寺日蓮あり。本小轡に連塔山蓮成寺日蓮あり。七渡に七渡山龍鑑寺
    薬王山本立寺以上日蓮あり。本村の大半は、所謂七里法華の區域内なるを以て、
    多くは日蓮宗なり。
    龍鑑寺 七渡區にあり、七渡山と號し、日蓮宗の小本寺なり。往昔此の地に龍堂寺といへる
    眞言宗の巨刹ありしが、 長亨中日蓮宗の大信者、土気城主酒井定隆領内の寺院をして、
    悉く改宗せしむ、時に同寺の住職日明同寺を、埴生郡報恩寺に移し、更に字元北原に
    本堂を創立せしといふ。

    【名所舊跡】
    千町野の開墾 古来茂原町より、関村に亘り廣漠たる原野あり、千町野と称す。幕府命じて
    新田を開墾せしむ、よりて天和二年(1682年)工を起し、數十年の後、今の町保及六ツ野の新田
    成れり。是に於て享保二十年(1735年)三月佳字を以て、上福、総寿、國昌、千盛、町保、新久、
    田永の七新田に分たる。此の七新田の佳字を集むれば即ち、上総國千町新田は
    昌盛保福寿永久の十四字となるべし。

    廣島屋治右衛門の墓 木崎區東泉寺境内にあり。治右衛門は安藝國廣島の産にして、
    江戸に住し、紙商を業とし、屡茂原に来り、茂原の東方に廣漠たる原野あり、空しく
    荒廃せるを慨歎し之が開拓を幕府に請ひ、寛文二年(1662年)土工百五十人を率ゐ、巨萬の
    資を投じ、之が開墾に従事すること三年、屡郷民の妨害を蒙りしのみならず、其の豫
    想齟齬して功成る能はず、爲に幕府の譴責を懼れ、同五年(1665年)の夏、木崎村東泉寺境内の
    松樹下に自盡せり、今廣島掘と称するものは、治右衛門が水路を掘割し遺跡なりと云ふ。
    治右衛門の没後十六年、幕府再び此の地方を開墾せしめ、遂に七新田を成すに至れり。

    龍堂寺址 七渡區字堰場にあり、寺傅によれば、本寺は平城天皇の大同二年(807年)空海
    創建に係り、真言宗の本山にして、寺領百石を、有し、堂宇巨大なりしが、土気城主酒井
    定隆領内の寺院をして、悉く日蓮宗に改めしめしとき、時の住職日明、之を肯せず、龍
    堂寺を埴生郡報徳寺に合併せり、依て更に寺跡に龍鑑寺を建立し、日蓮宗に属せりと。
    近年西村報恩寺境内より、永徳元年(1381年)二月願主秀倫、上総國山邊郡縣宮奉献と鐫せる
    鰐口掘出せり、これ龍堂寺合併の時、七渡より移せしものならん乎。

    【役  場】
    東郷村役場 谷本區にあり、民家を假用す。
    創設以来

    村     長 任     期
    白井 興七郎 自明治二十二年五月 至二十三年六月
    関谷 重左衛門 自二十三年六月 至二十五年十一月
    加藤 三郎治 自二十五年十一月 至二十九年十一月
    加藤 三郎治 自二十九年十二月 至三十一年六月
    藤乗 勘録 自三十一年七月 至三十二年九月
    鶴岡 新之助 自三十二年十月 至三十四年八月
    加藤 三郎治 自三十四年九月 至三十八年九月
    加藤 三郎治 自三十九年九月 至三十九年十一月
    白井 一郎 自三十九年十一月 至四十二年十一月
    渡邊 源蔵 自四十二年十一月 至四十五年一月
    鈴木 庄吉 自四十五年二月 至大正元年九月















    等相次で村長となり目下缺員中

    【学  校】
    本村にては、明治六年(1874年)総寿小學校、及千町小學校を創立し、同八年(1876年)十二月七渡小學校を
    設立し、二十三年(1891年)総寿、千町二小學校を合併して、廣徳小學校と稱し、四十二年(1910年)四月
    廣徳及七渡両尋常小學校を合併して、東郷尋常小學校と稱し、明治四十四年四月校舎
    を新築し、同時に高等科を併置せり。総寿小學校に三橋光慶、木崎小學校に吉野城雄、
    石井孝、白井格蔵、鵜澤周三郎、南廣徳小學校に鵜澤周三郎、岡本茂吉、関谷安治、千町
    小學校に山本彦右衛門、梅澤四郎治、本小轡小學校に折本兵右衛門、北廣徳小學校に
    梅澤四郎治、石川誠一、七渡小學校に白井静齋、白井八次郎、酒井玄通、麻生誠一、鈴木
    四郎、廣徳尋常小學校に関谷安治、白井八次郎、東郷尋常小學校に関谷安治等校長たり
    しが明治四十三年(1911年)、以上小學校は廢合せられ、東郷尋常小學校となれり。
    東郷尋常高等小學校 明治四十四年(1912年)四月校舎を現在の地に新築し開校したり創設
    以来越川俊次校長たり。

    【産業物産】
    村民は一般に農業に従事せり。地質概ね砂土にして耕転に便なり。園畑廣く、盛に
    野菜を栽培し、之を茂原、一宮、長南、鶴舞、大多喜等の市場に販賣す。又農間の副業
    として、養蚕を営むもの多し。而して又茶樹を栽培し、製茶を出すこと少からず。
    到る所の庭園に柑橘及桃を栽植し、果実よく熟せり。物産としては、穀類の外、蔬菜
    類、蠶繭、製茶、柑橘類及桃の実等なりとす。果樹蔬菜中、千町南瓜千町桃の名高し。

    【交  通】
    茂原町より、一松に至る里道と、一宮町より、山武郡東金町に至る道路は、村の中央を
    縦横に經過するを以て往来に便なり、郵便は茂原局の配達區なり。


著書『長生郡郷土誌』(長生郡教育会/編纂の著書)

出版年月日 1913年5月 ページ数等 : 536p 大きさ : 23cm


著書が閲覧できるところ

  • 千葉市図書館  1000010690868 http://www.library.city.chiba.jp/ 復刻版 大正2年刊
  • 千葉県立図書館 中央 9200345628 /C224 /C54 /1 個人貸出 不可
  • 千葉県立図書館 中央 9200034145 /C224 /C54 /1 個人貸出 不可
  • 千葉県立図書館 中央 9200034127 /C224 /C54 /1 個人貸出 可能
  • 茂原市立図書館 http://opac.library-mobara.jp/index.jsp 010589950 禁帯
  • 国立国会図書館 http://opac.ndl.go.jp GC63-67 000001332157 復刻版 大正2年刊
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