寺院紹介


茂原市 七渡山龍鑑寺のページ
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  行  事  予  定 
    現在、行事予定等は、御座いません。

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  ☆ 欄間彫刻三面が市指定有形文化財登録 ☆    2020年12月25日(金曜)
   欄間彫刻三面が茂原市指定有形文化財に登録されました。

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  ☆  梵 鐘 お披露目式 ☆    2018年5月12日(土曜)
   梵鐘が新しくなりお披露目が執り行われました。

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  ☆  100日 大荒行 帰山式 ☆    2016年2月17日(水曜)
   帰山式とは修行を無事に終えて、自分の寺に戻れたことを奉告する法要である

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  ☆  早  見  表 ☆ 
   ● 法事チェック-----没年を入れると年忌の一覧表が出ます…

 ● 忌日法要日チェック-----忌日法要は死後七日ごとに四十九日まで行います。
 
 ●本日は、六曜で先負 先負 です。

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 ★境 内 の 様 子★
    

      本 堂           無縁仏          釣り鐘堂         日泰供養碑      2010年櫻並木

   昭和30年12月 龍鑑寺 梵鐘落慶法要
   昭和50年 5月 龍鑑寺 石柱門建立
   昭和61年 3月 龍鑑寺 本堂改築竣工
   平成30年 5月 龍鑑寺 梵鐘落慶法要

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  ☆ 江 戸 彫 り に つ い て ☆ 
   ●祭りに人あり 彫物に歴史ありで龍鑑寺の彫り物などが紹介されています


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  ☆ 向 拝 に つ い て ☆ 
   茂原市 広報もばら(2020年(令和2年)9月1日号文化財:375)に龍鑑寺の向拝の紹介が掲載されました。
  以下、掲載文を紹介いたします。


 本堂向拝虹梁(こうりょう)上に目を遣ると、胴をくねらせ、どっかりと身構えた龍がいる。その龍は不審者や不信心な者に睨みを効かせ聖域を守っている。
 法華経の中で龍(八大龍王)は、法華経を守護する護法の善神(ぜんじん)とされている。


 龍は空中を飛翔し、雲を呼び雨を降らせ、東を守護する青龍でもある。龍は神秘的な力を持つとされる瑞獣(ずいじゅう)で想像上の動物である。
 龍が握りしめているのは、あらゆる願望を成就させ、苦悩を除き、悪を祓(はら)うともいわれる如意宝珠(にょいほうじゅ)(玉(ぎょく))である。
 古来中国では玉が貴(たっと)ばれ、天子(てんし)の象徴とされていた。
 ここは七渡山と言う日蓮宗の龍鑑寺(市内七渡)である。向拝の「雲に波に龍」の彫物は無銘であるが構図や作風から高松又八郎邦教と推定される。特徴ある波の渦巻き模様、龍の定型的なポーズ、火焔(かえん)の棚引き方や波の崩れ方等又八の特徴をよく表している。
 高松又八郎邦教は通称又八(亦八)と言い、門人十一人を育てた江戸の名工である。本名は蜷川左平太親尚(にながわさへいたちかなお)と言い、公儀彫物棟梁として、厳有院廟(げんゆういんびょう)(徳川将軍四代家綱)や常憲院廟(五代綱吉)、そして江戸城改修工事などの仕事をしている。
 又八は、寛文年中に江戸に出て名彫刻師島村俊元の弟子となり腕を磨いた。俊元の師匠は村井正俊で、正俊は俊元の伯父とも言われ、左甚五郎の末孫とも伝わる名人であった。又八も左甚五郎の再来とまで言われた名人であった。同門には島村圓鉄がいる。
 高松家は二代頼直(有章院廟〈七代家継〉の仕事)、三代頼品(惇信院廟〈九代家重の仕事〉、日光東照宮修復仕事)、四代厚孟と続き、代々幕府お抱えの御用彫物師で、彫物の最高地位を占めた名家である。
 又八は上州沼田(現群馬県沼田市)生まれ。墓は同県みどり市の祥禅寺にある。墓石の戒名は「傳心院外空邦教居士」と刻まれ、その側面に刻してある文字から「江戸神田九軒町(現千代田区岩本町)一居住御彫物屋棟梁俗名高松亦八」と読み取れ、没年は享保元年(一七一六)二月五日と刻されている。
 又八の作品は東京大空襲の戦禍により焼失。そのため、幻の名工と言われていた。しかし、近隣の社寺で数多く見られ、中でも某寺(大網白里市)の「牡丹」と「迦陵頻伽(かりょうびんが)」の欄間は傑作である。
 
                                      茂原市文化財審議会委員 片岡 栄 氏が執筆されておられます
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  ☆ 欄 間 に つ い て ☆ 
   茂原市 広報もばら(2007年(平成19年)10月1日号文化財:322)に龍鑑寺の欄間の紹介が掲載されました。
  以下、掲載文を紹介いたします。


 七渡小字(こあざ)元北原に、日蓮宗龍鑑寺がある。寺伝によると、大同二年(807)弘法大師空海の開基とあり、はじめ龍堂寺と号した真言宗の名刹であった。
 長享二年(1488)、土気城主・酒井定隆は、領内の寺院(ことごと)く日蓮宗に改宗(いわゆる七里法華)させ、時の住職は寺宝を持って報恩寺に難を逃れた。その後、龍鑑寺と寺号を改称し、現在地に創建したとされる。
 本堂内外陣(げじん)境問の欄間(らんま)三面は、彫工(彫刻師)長坂友雅の作で、寛政十年(1798)に仕上げている。本所報恩寺橋に居を構え、寛政から天保年間に活躍した江戸の名工である。
 彫工世系図(せいけいず)(東京国立博物館蔵)によると、大工彫刻は左甚五郎(応永頃の人なるも未だ(つまび)らかならずとしている)を濫觴(らんしょう)とし、長坂は甚五郎の末葉、乗吉から9番目にその名がみられる。
 江戸時代、「江戸彫物御三家」と呼ばれ活躍したのは後藤、島村、石川である。後藤家の元祖は後藤茂右衛門正綱で、名人なりとあり、宝暦二年(1752)58歳で没している。
 長男正道が名跡を継ぎ、次男正常が三代目を継承。名人であり、門人を16人も輩出した長坂家の元祖である。
 欄間中央に「桐に鳳凰」、左右に「阿吽の唐獅子牡丹」を配している。
 本願主は第21世観通院日明大徳院とあり、世話人は白井一郎右衛門以下数名がみられる。
 三面とも彩色が施され、当時は豪華絢爛な欄間だと推定できる。鳳凰は想像上の鳥であらゆる鳥の中の王であり、めでたい鳥とされている端鳥で、鳳が雄で凰が雌と言われている。徳のある天子が世に現れた時に出現するという。
 獅子も想像上の動物であり、「百獣の王」ライオンがモデルとされ、戦国の大名に好まれた題材である。また、仏の説法のことを喩えて「獅子吼」(ししく)という(百獣を威圧するが如く、仏の説法は悪魔や外道を屈服させ、万人を救うという意)。
 長坂友雅の作品は数少なく、近在では薬王寺(東金市上布田)に欄間三面(寛政十二年)の大作が見られ、「波に昇竜の図」、「禅琴夫人玉巵(ぎょくし)の図」、「馬師皇の図」が配されている。
 文政七年(1824)に本國寺(大網白里町)の客殿に「八方睨みの龍」、木鼻に「波に亀」、笈形(おいがた)付き大瓶束(たいへいつか)には「大和松に鶴」があしらわれている。
 江戸の名工に仕事を依頼できたことは、当時それだけの財力がなければ頼めない筈で、住民が富裕であったことや住職も浄財を捻出できる経済的能力を持ち合わせていたことなどが考えられる。
 このように、一地方において名工の作品に触れられることは、大変貴重で価値がある。
                                      茂原市文化財審議会委員 片岡 栄 氏が執筆されておられます

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  ☆ 七里法華と酒井定隆 ☆ 
   「心了院日泰(1432〜1506)に帰依した酒井定隆が、自己の領内中野・土気を中心に北は、成東、南は茂原、東は、九十九里西は、生実に及び約七里四方に跨る領内に、他宗の自院建立を許さず、悉く法華宗をもってしたので、世に上総の七里法華という」 と『日蓮辞典』には、その成立と範囲について述べられております。しかし、一般的にいって七里法華とは、上総の長柄郡から山辺郡にわたる日蓮宗寺院の密集地域と考えられています。

日泰は、京都妙満寺10世日尊の弟子で浜野の本行寺を拠点に布教活動を押し進めていましたが、長享二年酒井定隆が土気城に入ったとき招かれ本寿寺を創建し、また城の南の真言宗の寺を日蓮宗に改め 善勝寺と命名しました。この年五月十八日領内の寺院を悉く法華宗に改めるよう、いわゆる改宗令がだされたといわれています。改宗令に対しては、当然寺院側の抵抗がありましたが、武力をもつ戦国大名にかなうはずがなく、ある者は処刑され、又は、追放されました。 七渡の龍鑑寺は、元真言宗の古刹でしたが日蓮宗に改められ、住僧は寺宝をもって報徳寺(現長南町)に難を避けたといわれております。

龍鑑寺境内に安政2年(1855)に建立された日泰の供養碑があり、『七里法華開基』の文字が刻まれている。(右から2番目の写真)


茂原市内宗教法人名簿     以下抜粋
地区
コード
 連番  系統  包括団体名  法人名  市町村名  所在地  代表役員名
 100  188  仏教系  単立・仏教系  本立寺 ---> 2023/6/15龍鑑寺へ合併  茂原市  七渡1000番地  谷 正賢
 100  189  仏教系  単立・仏教系  龍鑑寺  茂原市  七渡2026番地  谷 正賢

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最終更新日:令和5年08月20日


出典:弘法大師伝説集 第二巻 P93 昭和50年12月15日初版 齋藤昭俊 著


 2011.8.28〜